ひこねの駅研究所

江ノ電と駅について書いていくつもりです!

【江ノ電駅史】#14 極楽寺 その3 —変貌を遂げた山間の小駅—

どうもこんにちは、ひこねです( ̄  ̄)ノ
極寒の北の大地、なめてかかっちゃいかんですね。

さて、今回は前回に続いて、戦後~現在の極楽寺駅について解説していきます。

▲昭和55(1980)年当時の駅舎(野口氏撮影)

 

 

今回も地図と年表を用意したので、ぜひご活用ください!

地理院地図に筆者加筆(赤線は旧線)
※位置は極楽寺停留場のみ反映, [n]=n代目

 

極楽寺駅 年表③】
S21.8.15(1946)~S23(1948)
移転, 駅舎建築
S51.3(1976)頃
極楽寺駅を一時無人化(約1ヶ月間)
S53.2.4(1978)頃
駅前に石畳が敷かれる
S53.10.10(1978)頃
ホーム上の待合所が薄緑色とぶどう色に塗替えられる
S53.11.初め(1978)
駅舎も塗替えられる
S55.12.13 (1980)
極楽寺駅のホームを2m延長
S56.10.29 (1981)
極楽寺駅新ホーム使用開始
H11.10.14 (1999)
極楽寺駅が「関東の駅百選」に選定される
H31.1.29 (2019)
極楽寺新駅舎竣工営業開始
R4.9.16 (2022)
終日無人駅化

 

1.5代目駅(駅舎新旧)

前回解説した通り、現位置の極楽寺駅は昭和22(1947)年頃に造成されました。とはいえ、当時の駅は、今とは駅舎もホームも異なっていました

ここでは、新旧駅舎の様子を紹介します。

 

極楽寺駅旧駅舎(野口雅章氏提供, S55.4)

極楽寺駅旧駅舎(筆者撮影, R5.1.22)

こちらは共に旧駅舎の写真で、上は江ノ電FC野口氏撮影(昭和55(1980)年)、下は筆者撮影(令和5(2023)年)です。

丸ポストの位置や駅舎の屋根、スロープの有無などの違いはありますが、駅舎そのものの位置や駅舎前の桜、石畳など、風景は大きく変化していませんね。

長谷駅の旧々々駅舎と異なり、事務室のみのこぢんまりとした造りの駅舎です。

▲2代目長谷駅駅舎(鎌倉市中央図書館蔵)

 

接近。禁煙マークのある塞がれた所が、かつての窓口でした。

 

内部はきれいに塗装されており、あまり古さは感じられません。が、窓枠や梁が木造建築らしさを醸し出しています。JRの駅に見られるような完全リニューアルではなく、あくまでも塗装と少しの改修といった感じ。

 

窓から、旧事務室内部の様子。こちらはほぼ完全に改修されており、面影はありません。

以上が旧駅舎の様子です。

 

▲工事完了直前の新旧駅舎(H31.3.5)

続いて新駅舎について。現在の駅舎は、「絵はがきになる江ノ電へ」をコンセプトに進められた改修計画の一環として建築され、平成31(2019)年1月末に竣工・営業を開始しました。

なお「駅舎」と称するものの、半分以上はトイレの模様。

 

新築トイレ、もとい新駅舎は旧駅舎およびホーム屋根に近接して建てられており、雨の日でも一度も濡れずに用を足せます。

と、散々いじってしまいましたが、当駅周辺には公衆トイレがないので、その整備は江ノ電としても考えていたのではないでしょうか?

 

さて、駅舎というだけあって、当然この建物にも窓口が設けられました。が…

あれ、閉まってる?
実は、駅舎新築から約3年半後の昨令和4(2022)年9月、当駅は無人されてしまったんです。元々昼間しか人のいない日勤駅でしたが、終日無人されました。

 

…やっぱりトイレ建てただけじゃないの!

 

 

 

2.ホーム新旧

次にホームの様子。まずは旧ホームから。

極楽寺駅旧ホーム(野口雅章氏提供, S47.4.23)
車輌は304+354号, 801+802号

昭和47(1972)年時点での様子。ホームは土盛・むき出しで、線路に面した部分にのみ石畳が敷かれていたようです。

極楽寺駅旧ホーム(野口雅章氏提供, S47.2.12)
車輌は801+802号

ホーム上には待合所が設置されていました。この時点では白色ですが、昭和53(1978)年に葡萄茶色と薄緑色に塗替えられます。

 

極楽寺駅旧ホーム(野口雅章氏提供, S54.5)
車輌は303+353号他

昭和54(1979)年、旧ホームの鎌倉側先端。この2年後、ホーム先の空き地に現在のホームが建造されます。

極楽寺駅新ホーム(野口雅章氏提供, S56.10.4)
車輌は501+551号

昭和56(1981)年10月。旧ホーム先端から新ホームを撮影しています。床面は既にできあがっており、上屋は骨組みのみ完成している状態。

 

極楽寺駅新旧ホーム(野口雅章氏提供, S56.10.17)
車輌は306+356号他

同じく昭和56年10月。新旧ホーム対比。先ほどの写真で骨組みのみだった上屋も概ね完成しているように見えます。

この新ホームはこの年の10月29日、朝9時30分から使用開始されたそうです。

 

▲取壊される旧ホーム(野口雅章氏提供, S56.10.30)
車輌は801+802号

新ホーム使用開始の翌日の様子。半分以上は跡形もなく取壊されています。この後11月中旬までには完全に撤去され、整地されたとのこと。

とはいえ、旧ホームがすべて撤去されたのではなく、下図のように、一部は新ホームと接続して再度ホームとして使用しているそう。

▲新旧ホーム模式図

 

それがわかる写真がこちら。ホームのうち、画像手前側は下が空洞になっているのに対し、画像奥側は擁壁があります。この擁壁のある部分が旧ホームの流用箇所で、土盛式になっています。

 

では、新ホームの様子を。

まずは入口部分から。駅出入口とホームは、画像のようにスロープで接続しています。


外側からの形を見てわかる通り、このスロープは、元は階段だったようです。バリアフリー化工事の一環で改修されたんでしょうね。

ホームはコンクリート製。鎌倉側が地形に合わせてすぼまっています。

そして特筆すべきはこれ。ホーム鎌倉側の端に柵がありますが、その先にまだホームが続いています

江ノ電は通常2輌または4輌で運転しますが、当駅のホームは6輌分あります。この余った2輌分のホームが柵の向こう側の部分で、車輌の不調などにより列車の入替を行う際に臨時で使用しています。そのため掃除が行き届いておらず、虫や枯葉がすごい。

ちなみに、ホーム長が6輌分ある駅は他にもありますが、実際に6輌停まるのは当駅のみです。

 

以上、長かった極楽寺駅の変遷でした。

 

 

 

3.名所案内 —地獄から極楽へ—

それではおまけパートへ。今回紹介するのは「極楽寺」です。極楽寺鎌倉唯一の真言律宗の寺で、開山は忍性、開基は北条重時です。創建については諸説ありますが、正元元(1259)年、深沢の方に創建されようとしたものを、忍性・重時らが「地獄谷」と呼ばれていた当地に移したとされています。

なお、「地獄谷(じごくだに)」と呼ばれていたのは極楽寺北方の「馬場ヶ谷(ばばがやつ)」の辺りで、この辺りが山中で暗かったために犯罪や遺棄が横行していたからだとか何とか…。

 

極楽寺山門

極楽寺は、極楽寺駅のすぐ裏、桜橋を渡った先にあります。藁葺きの立派な山門の前にある階段は、現在は5段ですが、住職さん曰く「あと数段埋まっている」とのこと。

実際に大正時代の写真を見たところ、7段の階段が確認できました。寺前の道を嵩上げした際に同時に盛土したものと思われますが、その時期は不明です。

 

▲参道

▲本堂

山門をくぐって70m程の直線の参道を行くと、正面に本堂が、右手に宝物庫があります。

現在の極楽寺は本堂や宝物庫等のみとなっていますが、かつては広大な敷地を有しており、多くの塔や建物が建っていたといいます。その中には、施薬院(=薬局)や悲田院(=児童養護施設+老人ホーム)といった、忍性が行った社会事業の一環として造られたものもあったといいます。

これらの建物は、鎌倉攻めやその後の度重なる大火・震災等でなくなっており、現在の本堂は、それらによる焼失を免れた「吉祥院」の跡地に再建されたものが現在に残っているんだそうです。

 

それでは、今回はこの辺りで失礼します。( _ _)

 

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