ひこねの駅研究所

江ノ電と駅について書いていくつもりです!

【江ノ電駅史】#20 音無橋 —洒落た名の橋の最寄駅—

どうもこんにちは、ひこねです( ̄  ̄)ノ
近い内に後報しますが、江ノ島と長谷の構内踏切が閉鎖されてしまうようですね。

 

それはさておき…、今回紹介するのはこちら。

音無橋(おとなしばし)停留場です。

 

 

今回も地図と年表を掲載しておきます。

地理院地図に筆者加筆

【音無橋停留場 年表】
M36.7.17 (1903)
行合-追揚間延伸に伴い開業
S6.10.4 (1931)
廃止(S5.10.21申請, 7.21認可)

 

 

1.音無橋停留場

稲村ヶ崎駅から藤沢方面の列車に乗ると、発車後すぐに小橋梁を渡ります。これが江ノ電の「音無橋」で、正式名称を「音無川橋梁」といいます。停留場は、この橋を渡った少し先の私設踏切の脇にありました。

▲橋梁付近の私設踏切より稲村ヶ崎方面

音無橋停留場は、明治36(1903)年7月の行合-追揚間延伸に伴って開業しました。ホームのない簡素な構造だったようです。

当停留場は、開設以来特に変動はなく、昭和6(1931)年に廃止されてしまいます。蔵屋敷停留場等と同様に、小田急やバスといったライバルの出現による速力増進のための間引きですね。
廃止時点での一日平均乗車人員は4人で、この際廃止された13停留場の中では平均よりやや少ない程度でした。

 

短いですが、停留場については以上です。



 

2.名所案内 —珍しい滝を由来とする橋—

地理院地図に筆者加筆

それではおまけパートへ。今回紹介するのは、停留場名の由来ともなった「音無橋」その他です。音無橋は、停留場のすぐそばの市道に架かっています。

 

何の変哲もない橋のように見えますが、実は大正15(1926)年に架橋された古い橋だったりします。長谷の三橋もそうですが、この時期に架橋された橋は、大体関東大震災からの復旧の証ですね。

 

▲音無川

橋名は、下を流れる「音無川」に由来します。
河川名は、流れが緩やかで音がしないため……ではなく、かつて上流にあった「音無滝」に由来します。

 

 

地理院地図に筆者加筆

音無滝は、稲村ヶ崎駅北方の一の谷戸を進んだ先、現在「正福寺(しょうふくじ)公園」になっている辺りにあったようです。宅地化の際に潰されてしまったため、滝は現存しません。
またの名を「那智の滝」といい、『としより の はなし』によると、この滝は通常のものと異なり、下から水が噴いて落ちる珍しい滝だったといいます。
この落ちる際に、下が砂山で音がしなかったために「音無滝」といったようです。

 

ところで、この正福寺公園のある場所には、かつて聖福寺(室町時代に廃寺)というお寺があったといわれており、一の谷戸も「聖福寺ヶ谷」といっため、音無川にも聖福寺ヶ谷川」という異称があったようです(江戸時代に描かれた『江嶋道見取絵図』にも「勝福寺谷川」との表記が確認できる)

なお聖福寺の位置については少々議論があるようです。大正・昭和初期の地図を参考にした私は上図の位置だと思うのですが、どうなんでしょうかねぇ…。

昭和2年の鎌倉町の地図(一部)

 

それでは、今回はこの辺りで。( _ _)

 

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