ひこねの駅研究所

江ノ電と駅について書いていくつもりです!

【江ノ電駅史】#4 琵琶小路

どうもこんにちは、ひこねです( ̄  ̄)ノ

まだまだ暑いと思っていたら、急に涼しくなってきた今日この頃。蝉の声はいつしか聞こえなくなり、台風までやってきてしまう始末。いよいよ秋ですねぇ…。
さて、感慨にひたりつつ、今回も江ノ電の停留場(と沿線)を紹介しますよ~!

 

さて、今回紹介するのはこちら。

琵琶小路(びわこうじ)停留場です。

 

では、いきましょう~!

 

 

今回も年表と地図を用意したので、ぜひ参考にしてください!

 

【琵琶小路停留場 年表】
T4.10.18 (1915)
新設開業認可(9.18申請)
S3.8.22(1928)以前
和田塚寄りに20m程度移転
S4.4.18 (1929)
ボギー車導入のため、線路・ホーム間の幅員を拡張認可(S3.8.22届出→申請)
※S3.8.22に工事実施の届出をしたが、認可申請が必要な事項であったため、届出書を申請書として処理し、S4.4.18に改めて認可が下された。
S20.4.28 (1945)
休止認可
S23.4.14 (1948)
廃止認可(3.19申請)

 

地理院地図に筆者加筆

 

1.琵琶小路停留場

大町停留場を出て直進すること約180m、一つ先の和田塚3号踏切横にあったのが琵琶小路停留場です。停留場名の「琵琶小路」は、この踏切のある道を指します。

▲和田塚3号踏切より

当時の様子はこんな感じでした。今回も図面を写したものを用意しました。

昭和17年の琵琶小路停留場

踏切から10m程離れたところからホームがあり、ホーム上には待合所があったようですね。向かいには鎌倉小学校(現:鎌倉市立第一小学校)があったので、そこの生徒の通学にも利用されたのでしょう。とはいっても、当時は皆徒歩通学が当たり前で、江ノ電を利用したのは都会から越してきたお坊ちゃま・お嬢様が多かったようですが…。

停留場から小学校へは、若宮大路に面した正門へ回らずとも、停留場脇にあった裏門(下図)を通って直接行けたようです。

▲赤四角で囲った所が裏門

この裏門は停留場廃止後も残されておりまして…

▲停留場と裏門の跡(S58, 野口雅章氏提供)

こちらは、「江ノ電ファンクラブ」初代会長を務めた野口さん撮影の、昭和58年当時の停留場跡の写真です。この少し前に、ホームの一部と思しき石片が転がっているのを発見して(実に興味深いですねぇ…)、後日この写真を撮ったのだといいます。左の方にかつての裏門があるのが確認できますね。

さて、昭和58年当時には残存していたこの門ですが…、なんと、今も残っているんですよ。草木の影になって非常に分かりづらいですが、現地に赴いた際はぜひ探してみてはいかがですか? ヒントは、門の前にある直方体の機器ですよ。

 

さて、話を停留場に戻しまして…。
琵琶小路停留場は、極楽寺-大町間の路線開通時にはなく、大正4年に新設された停留場です。当時は踏切のすぐ脇に停留場がありました。残念ながら、移転の時期や事由は定かではありません。昭和3年8月時点では先ほど紹介した位置にあったようなので、これ以前のはずですが…。

大正4年時点の停留場と周辺(一部筆者加筆)

昭和3年の琵琶小路停留場(一部筆者加筆)

この移転の他には特に大きな変化はなく、大町停留場同様に戦時休止→廃止されてしまいます。こちらは大町よりも約1年遅い昭和20年4月末の休止で、休止時の乗降人員は913人でした。大町よりも利用者が50人も多かったのは、小学校が関係しているのでしょうか…?
小学校の、若宮大路を挟んだ向かいには鎌倉女学校(現:鎌倉女学院)もあったので、きっとそこの一部の生徒もここを利用していたことでしょうね。

 

2.琵琶小路・琵琶橋

▲冒頭の地図(再掲)

では、ここからは土地の話をば。

停留場名の「琵琶小路」が、停留場脇の道、すなわち第一小前付近より六地蔵の交差点付近に至る道であることは、先ほども書きました。現在は確かにこの道を「琵琶小路」と呼ぶので間違いないのですが、昔は違ったようで…。

地理院地図に筆者加筆(再掲)

「琵琶小路」は中世の文献には見られず、初出は江戸時代、徳川光圀の『鎌倉日記』のようです。それによると、若宮大路のうち、一の鳥居と二の鳥居の間が近世の琵琶小路だった事がわかります。

では、なぜここが「琵琶小路」と呼ばれていたんでしょうか…?
諸説ありますが、かつてこの道筋に弁財天を祀った祠があり、それを避けるために道が楽器の琵琶のように曲がっていたからだとするのが定説のようです。

さて、ではどうして今の通りが「琵琶小路」と呼ばれるようになったのでしょうか?
これについてははっきりしないのですが、私は「琵琶橋」が関係しているんじゃないかな、と思ってます。

▲琵琶橋

琵琶橋とは、旧琵琶小路に架かっている橋のことで(琵琶小路にあったため琵琶橋という)、鎌倉十橋(交通の要所や史跡など、鎌倉の橋10選)の一つに数えられています。昭和30年頃までは擬宝珠(たまねぎみたいなやつ)のついた朱塗りの橋だったようです。その後コンクリートの橋に舗装され、平成4年に、かつての橋をイメージした御影石の橋が復元されて現在に至るそうです。

現在の琵琶小路は明治中期以降に開通したそうですが、その際に、琵琶橋の近くにある道だということで「琵琶小路」と名付けられたんじゃないか、というわけです。根拠はありませんが…。

もしこの説が正しければ、道の名を由来とする橋が、同じ名前の違う道の名の由来となるわけですね。うーん、ややこしい…。

 

それでは、今回はこの辺りで失礼します。次回は近いうちに上げられるといいなぁ…。

 

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