どうもこんにちは、ひこねです( ̄  ̄)ノ
最近寒くなってきて、もう冬が来るんだなぁと実感する今日この頃。この時期になると海に入る人は少ないですが、眺めるだけなら冬の海辺も良いもんですよ。空気が澄んでいて遠くの島や山々もよく見えますし。
ということで、今回紹介するのはこちら。
由比ヶ浜(ゆいがはま)停留場です。
由比ヶ浜駅は前回見たじゃないかって?
今回見ていくのは、由比ヶ浜と長谷の間にあった初代・由比ヶ浜停留場です。
今回も地図と年表を用意したので、ぜひご活用ください!
【由比ヶ浜停留場 年表】
M40.8.16 (1907)
極楽寺~大町間延伸に伴い由井ヶ浜として開業
S4.4.18 (1929)
ボギー車導入のため、線路中心・ホーム擁壁間の幅員を拡張認可(S3.8.22届出→申請)
※S3.8.22に工事実施の届出をしたが、認可申請が必要な事項であったため、届出書を申請書として処理し、S4.4.18に改めて認可が下された。
S4 (1929)頃
ホームを山側から海側に移設
S8.6.13 (1933)
由井ヶ浜停留場の海側ホームを延長並びに山側ホームを撤去届出
S16.5.6 (1941)
夏季に臨時停留場を設置することを条件に廃止認可(S15.3.20申請)
S17.7.1 (1942)
長谷~海岸通間(藤沢起点8粁652米236)に由比ヶ浜海水浴場臨時停留場を設置(~9.10)(6.27届出)
S20.6.26(1945)以前
完全に廃止
1.概要・歴史
由比ヶ浜駅を出ると、長谷駅との間に緩いS字カーブがあります。このカーブの終端の、長谷4号踏切の手前にあったのが(旧)由比ヶ浜停留場です。
開業当初は「由井ヶ浜」と、井戸の「井」の字があてられていましたが、昭和初期に「由比ヶ浜」へと改称しました。公文書においても昭和10年頃まで「井」の字と「比」の字が混在していたため、改称というよりは自然変移と言った方が正しいかもしれないですが…。
当停留場は長谷駅に近い場所にあったためか、夏季以外の利用状況が芳しくなかったようで、「夏季に臨時停留場を設けること」を条件に昭和16年に廃止されました。その条件の通り、昭和17年夏に「由比ヶ浜海水浴場」臨時停留場が設置された記録が残っています。
確認できた記録としてはこの1回のみですが、「夏のみ営業していた」という地元民の証言が残るくらいですから、計3, 4回は設置されたんじゃないかと思います。
完全に廃止された時期はわかりませんが、昭和20年6月末に提出された、地方鉄道法に抵触する箇所の特別使用許可申請書に由比ヶ浜停留場のホームが載っていないので、これ以前には廃止されたとみられます。個人的には昭和19年夏が最後の営業だったんじゃないかと予想してます。
2.ホームが特徴的だった!?
さて、そんな由比ヶ浜停留場ですが、昭和初期まではホームが少し特徴的でして。
こちらをご覧ください。
線路の両側にホームがある!
そうなんです。不思議でしょ?
海水浴客のアクセス向上や安全確保・混雑緩和等あたりが目的でしょうか…?
もしそうであれば、混雑時には現在の藤沢駅や鎌倉駅のように、乗車用・降車用の役割があったんじゃないかと思いますが、真相や如何に。
昭和8年には山側(図の上側)のホームが撤去され、海側(下側)ホームに統一されています。なおこの際、海側ホームの延長も行われています。
3.昭和初期の停留場の様子
この項では、当時由比ヶ浜停留場の前に居住していた富豪・T氏撮影の映像(鎌倉市中央図書館蔵)の切抜きを掲載します。昭和初期の写真でも貴重なのに、まさか映像が残っているなんて…。
まずはこちら。撮影時期は不明ですが、おそらく昭和3年夏のものと思われます。駅名板の字は、このカットでは「濱」しか読み取れませんが、別カットで「井ヶ濱」と確認できるので、全体では「由井ヶ濱」と書いてあるんでしょうね。
なお、車輌は木造四輪単車で、窓の形から23号車か24号車と思われます。
同じく昭和3年頃のもの。家から出て車に乗る場面を写したものですが、通りの奥に停留場のホームが確認できます。その手前に写っている縞模様のポールは、踏切があることを知らせるためのものでしょうか…?
続いて昭和4年頃のもの。ホームが両側にあるのがわかると思います。家は海の方向にあったのにも関わらず、わざわざ山側のホームから乗車しています。やはり乗車用と降車用に分かれていたのか…?
車輌は開業当初からいた2号車です。
続いて昭和4年夏時点。家から停留場へ向かい、列車が到着したところで映像が切れています。そのため、海側ホームに人が立っていますが、乗車したのか降車人を出迎えたのかはわかりません。
車輌はこの年の春に登場した、半鋼製ボギー車の101号車です。
こちらは昭和9年夏の駅前通り。昭和3年頃のものとは異なり、大きく「電車のりば」と書かれた看板が掲げられています。奥にはバス停の標柱のようなものも見られますが、これは一体…?
続いて昭和12年3月の様子。ホームは海側1本のみに統一されています。当時は連結せずに1輌ずつ走らせる場合に、「続行運転」という形態をとっていました。電車が付けている円盤は「続行車輌あり」を知らせるものです。
よく見ると、奥の方に長谷停留場と、そこに停車する電車が確認できますね。おそらくあの電車の後側には、「以降続行車輌なし」を知らせる円盤が付いているものと思われます。
先ほどの電車が停留場に停車し、発車した直後のもの。鎌倉方面を向いて撮影しています。
旧ホーム跡には側溝が掘られており、面影が感じられなくなっています。
とりあえず今回はこんなところで。また機会がありましたら、掲載させていただきたく思います。
4.名所案内
①由比ヶ浜
それではおまけパートへ。まずは由比ヶ浜についてです。
由比ヶ浜はご存知の通り鎌倉市にある海岸で、和賀江島(飯島)から稲村ヶ崎までの間を指します。
名前の由来は、昔「由比郷」という郷村(行政単位)に属していたからだとか、相互に助け合う「結」にちなんでいるためだと言います。
合戦の時には戦場となり、また刑場にも選定されていました。
由比ヶ浜海岸から稲村ヶ崎方面。左側にはうっすらと真鶴や伊東の山々が見えます。
前回紹介した海浜院と由比ヶ浜の景色。サナトリウムとしてもホテルとしても、かなりの好立地にあることがわかります。
②稲瀬川・美奈能瀬川
そんな由比ヶ浜には計4本の川が流れており、その内の2本が稲瀬川と美奈能瀬川です。
西側が稲瀬川、東側が美奈能瀬川ですが、河口で合流しています。現在は護岸があるのであまり合流していないように思いますが、風のある日なんかは川が曲がって合流することがあります。
昔は護岸がなかったので、川は毎日のように合流していたことでしょうね。
それが原因かはわかりませんが、この河口付近にはちょっとした不思議がありまして…。
ここにも青年団建立の碑があります。「稻瀨川」とありますが、この碑があるのは…、
美奈能瀬川なんですね。
これだけならまだわかりますが…、
稲瀬川にかかる国道の橋。この橋の名称は…、
美奈能瀬橋。
うーん、不思議だ…。
中世には稲瀬川のことを水無瀬(みなのせ)川と呼んでいたとされていたり、稲瀬は水無瀬が訛ったものだといわれたりしているようなので、昔はあまり区別しなかったんでしょうかね?
何か見解をお持ちの方は、ぜひコメントでよろしくお願いします!
では、今回はこの辺りで失礼します。( _ _)