どうもこんにちは、ひこねです( ̄  ̄)ノ
今回から、いよいよ藤沢市に入ります。
さて、今回紹介するのはこちら。
龍ノ口(たつのくち)停留場です。
今回も地図と年表を掲載しておきます。

※赤線は旧線
【龍ノ口停留場 年表】
M36.6.20 (1903)
片瀬-行合間延伸に伴い開業
S16.5.6 (1941)
廃止認可
この一帯の停留場変遷について解説したこちらの記事も、ぜひご覧ください!
1.龍ノ口停留場
龍ノ口停留場は、明治36(1903)年6月の行合延伸に合わせて開業したとみられ、終始ホームのない簡素な構造をしていたようです。
龍口寺の門前にあったことから、開業以来、長らくそのアクセス駅として機能していたはずですが、昭和16(1941)年に、停留場間隔の調整および運行の円滑化のために廃止されてしまいました。
なお、当時の駅間を短い順に列挙すると、以下の通りになります。

表中の赤字は、当時廃止を打診された停留場です。両隣との間隔が短く、かつ利用者が比較的少ない停留場が取り上げられたので、当停留場は龍口寺の目の前にありながらも、利用者は意外にも少なかったようです。
この辺りの観光地といえば、江の島が一丁目一番地なので、多くの観光客が江ノ島駅で降りていたと推測されます。そうであれば、そのついでで龍口寺を見ようとも、わざわざ江ノ電に乗ることはなかったでしょう。
停留場についての解説は、以上です。
2.名所案内

①龍口寺 —日蓮の形跡 その4—
それではおまけパートへ。まずは「龍口寺(りゅうこうじ)」です。
当寺は、文永8(1271)年の「龍ノ口法難」で、怪光により日蓮が処刑を逃れたことを記念し、延元2(1337)年に、弟子の日法が刑場跡地に日蓮上人像を安置したことが始まりとされているそうです。
明治の半ば頃までは住職を置かず、近隣の八つの寺が輪番制で龍口寺を管理していました(輪番八ヵ寺)。
四叉路の一角にある龍口寺の入口には、鉄筋コンクリート製の重厚な仁王門がそびえています。昭和48(1973)年の竣工で、古いものではありませんが、お寺全体の雰囲気に調和しています。
仁王門をくぐり階段を昇ると、山門に迎えられます。
この山門は、元治元(1864)年に大阪の商人の寄進により建立されたといいます。
山門の先には、天保3(1832)年の建立という巨大な本堂があり、日蓮上人像などが祀られています。

また、本堂の奥には、明治43(1910)年建立の五重塔があります。創建時の場所に現存する塔としては県下唯一で、藤沢市の重要文化財にも指定されています。
この他、当寺では龍ノ口法難の日(9月12日)にちなみ、9月11日より13日までの3日間を「龍口法難会(りゅうこうほうなんえ)」とし、法要を行っています。
この間は例年大賑わいを見せますが、それは昔も変わらないようで、昭和初期時点では、9月12日は江ノ電が臨時の終夜運転を行っていたようです。
②龍口明神社跡 —腰越最古の神社—
さて、龍口寺のある場所は、元々「龍ノ口刑場」だったわけですが、なぜ「龍ノ口」というのでしょう。
これは、当地に伝わる「五頭龍伝説」に由来するもので、時は飛鳥時代まで遡ります。
伝承では、深沢に住む五つの頭をもつ龍が、日々悪事を働いて人々を困らせていたところ、ある日現れた江の島の女神(弁財天)に惚れ、結婚を申し込むも拒否されたことから改心し、村を守るために山に姿を変えたといいます。
これが、深沢から片瀬に続く山々で、五頭龍の口の部分に該当する場所を「龍ノ口」と呼んだというわけです。
これはあくまで伝承で、本当のところは山々の形を龍に、自然災害を龍の悪事に見立てただけでしょうが、昔の人々がいかに自然に畏怖していたかがよく現れている伝承だと思います。
さて、人々は改心した五頭龍の徳を讃え、龍ノ口の地に社をつくって祀ることとしたそうで、欽明天皇13(552)年頃に建立されたのが「龍口明神社(りゅうこうみょうじんじゃ)」です。
地番は鎌倉市津の1番地(飛地)で、かつては龍ノ口一帯まで腰越だったことが伺えます。なお、旧鎌倉の中で最古の神社は長谷の甘縄神明神社(710年創建)ですが、腰越を含む鎌倉市内だと、龍口明神社が最古になると思われます。
神社は、昭和53(1978)年に龍の胴にあたる西鎌倉駅付近に移転し、しばらくは旧社殿や鳥居などが残っていましたが、かなり荒廃していたためか、ここ1年くらいの間に、社殿が解体されてしまいました。
③龍口園 —幻の遊園地—
龍口寺に関連して、もう一件。
実は、龍口寺のある山の山頂には、一時期「龍口園(りゅうこうえん)」という遊園地があったのです。
当時の新聞(横浜貿易新報)によれば、開園は昭和2(1927)年で、周辺四ヶ寺(龍口寺・常立寺・本蓮寺・法源寺)の持山を削って整備されたようです。
入口は各寺境内に設けられたようですが、そのうちの一つ、常立寺側の出入口には、当時の日本としては珍しい存在のエレベーターがあったといいます。
なお、「遊園地」とはいっても、小規模な動植物園のような格好で、主な売りは山上からの景色だったようです。

当時の観光案内パンフレットにも、龍口園の文字と、エレベーター・展望台が描かれています。
当園に関しては、片瀬・江ノ島を一望する絶景、エレベーターの姿などが絵葉書として残されていますが、ターゲットである観光客の入園数は芳しくなかったようで、わずか数年で閉園してしまいます。
なお、閉園時期について、詳細は不明ですが、昭和10(1935)年前後のようです。
※龍口園については、こちらのブログ記事がかなり詳しくまとめてありますので、興味のある方はご参照ください。
地元の方でも知っているかどうか…くらいのマイナー度で、色々と謎に包まれた幻の遊園地ですが、昭和の一時期、確かに片瀬の一角に存在したのです。
江ノ電の停留場同様、当時を知る方でも、きっと詳細を記憶している方は少ないでしょう…。
それでは、今回はこの辺りで。( _ _)