ひこねの駅研究所

江ノ電と駅について書いていくつもりです!

【江ノ電駅史】#29.5 腰越待避線 —峰ヶ原信号場の前身—

どうもこんにちは、ひこねです( ̄  ̄)ノ
今回はミニ記事で、腰越待避線について書きます。

 

 

腰越待避線は、鎌倉高校前駅とほぼ同位置にあった、行違い専用の施設です。

地理院地図に筆者加筆

1.概要・歴史

当施設は、大正14(1925)年に、行違い場所を増設するために新設されました。

というのも、当時は下図に示した通り、片瀬(現:江ノ島)-長谷間には大境停留場しか行違い場所がなく、繫忙期には多客に対応できていなかったそうです。
※ちなみに、これがネックとなって、片瀬-長谷間は24分間隔での運転を余儀なくされていました。

そこで、上図のように待避線を増設・延伸することで、春夏期に増発できるようにしたのです。
この一環で新設されたのが「腰越待避線」です。先述の通り行違い専用のため、旅客扱いは行っていませんでした。

 

こうした経緯で設置された腰越待避線ですが、わずか4年で撤去されてしまいます。

 


昭和4(1929)年全線10分間隔での運転を実現するため、待避線の位置調整が行われました。これにより、待避線は既存の腰越停留場へ移ることとなり、腰越待避線は廃止・撤去されました。

ところで、上図にもある、似たような施設の極楽寺待避線については、以前解説しましたね。こちらは、通称「車庫前」停留場として、非公式ながらも旅客扱いをしていました。
しかし、腰越の方は、存在期間が短く、周囲の人口が少なかったためか、そういった話は聞きませんね…。

 

 

▲公文書図面より、腰越待避線(S2年)
※右の建物は鈴木療養所

▲公文書図面より、日坂停留場(S17年申請時)

さて、腰越待避線は、現在鎌倉高校前駅がある場所にありました。

前回の記事で、日坂停留場が現地に移転する際に、「とある理由」で窪地があったためと書きましたが、上の2つの図を見比べてわかる通り、まさしく、腰越待避線の跡地だったからなのです。

 

現在の様子に合成すると、こんな感じです。現在でもホームの両側がしぼんでおり、待避線があった痕跡がみられます。

 

 

 

2.峰ヶ原信号場の前身?

先述の通り、腰越待避線は、昭和4(1929)年に行違い場所見直しの一環で廃止、腰越停留場へ事実上の移転となりました。

その後、腰越停留場は「小動」と改称し、この待避線も、昭和19(1944)年、運転の見直しにより移転、日坂停留場と統合されました。

 

 

そして戦後は、日坂駅改良工事に伴い、昭和28(1953)年に待避線を分離して峰ヶ原信号場が開設されました。

つまり、この流れでわかる通り、現在も活躍する峰ヶ原信号場のルーツは、短命に終わった腰越待避線にあるといえるのではないでしょうか…?

 

 

 

3.絵葉書に見える腰越待避線

最後に、絵葉書を1枚紹介します。

▲絵葉書「七里ヶ濱」(筆者蔵)

江ノ電について調査している方なら、一度は見たことがあるかもしれない、この絵葉書。実は…

 

▲絵葉書「七里ヶ濱」(筆者蔵)
(一部拡大, 筆者加筆)

両側に突出するビーム(電線等を吊るす部分)や、山側に傾く車輌が写っているのです。
ここまで言えば、もはや説明不要でしょう。

この絵葉書は、わずか4年間、しかも春・夏期しか使用されなかった腰越待避線を写した、大変貴重な資料なのです。

「車輌も線路もよく写ってないし…」と、入手を躊躇しているそこのあなた! 駅鉄目線ではありますが、これは絶対「買い」ですよ…!

 

 

 

では、年表で〆です。
今回は少し長くなってしまいましたね…(ミニ記事とは一体…)

 

【腰越待避線 年表】
T14.8.15 (1925)
袂ヶ浦-日坂間、藤沢起点2哩77鎖44節(=4.777km)地点に、腰越待避線を新設認可(7.16申請)
S2.3.28 (1927)
ボギー車導入に伴い、線路中心間隔を9.6呎から10呎に拡大認可(T15.6.8申請)
S3.10.12 (1928)
腰越待避線を撤去認可(8.3申請)(S4.4.6着手届出, 6.7竣工届出)

 

 

それでは、今回はこの辺りで。( _ _)

 

 

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