ひこねの駅研究所

江ノ電と駅について書いていくつもりです!

【江ノ電駅史】#29 鎌倉高校前 —七里ヶ浜の変容を見守ってきた駅—

どうもこんにちは、ひこねです( ̄  ̄)ノ
そろそろ卒業シーズンですね。

 

さて、今回紹介するのはこちら。

鎌倉高校前(かまくらこうこうまえ)駅です。
屋根上のこれ、いつの間にかなくなってましたね…。

 

 

今回も地図と年表を掲載しておきます。

地理院地図に筆者加筆

鎌倉高校前駅 年表】
M36.6.20 (1903)
片瀬-行合間延伸に伴い、日坂として開業
M44(1911)頃
鈴木療養所の出入口前に移転
T13.5.7 (1924)
鈴木療養所の出入口移転に伴い、藤沢起点2744.6間(日坂の東側)に移転認可(4.12申請)
S15.3.11 (1940)
日坂停留場にホームを新設認可(2.15申請, 5月竣工)
S18.1.29 (1943)
移転ならびに待避線敷設認可(S17.6.30申請, S19.11.1竣工)
・日坂停留場を藤沢起点4.781km地点(現在位置)に移転
・小動停留場の待避線を(新)日坂停留場に移転
S18.1.29(1943)~S20.6.26(1945)
下り線にホーム新設
S28.1 (1953)
日坂駅の改良工事に着手
S28.8.1 (1953)
鎌倉高校前に改称
S28.8.20 (1953)
峰ヶ原信号場を新設し行違い設備を移転, 棒線駅
S30 (1955)
ホームを嵩上げ
S53.6.2 (1978)
ホームを延長
S55.2.21 (1980)
改札小屋を新築
S58.1.10 (1983)
自動券売機による販売を開始
S61.8.31 (1986)
券売機の位置をずらし、駅舎を新築
S62.9 (1987)
改札前の道路部分に屋根を取付
H9.10.14 (1997)
関東の駅百選」に選定される

 

 

 

1.鎌倉高校前駅

①初代停留場

▲『鈴木療養所報吿』より

▲『鈴木療養所報吿』より
※一部拡大, 筆者加筆

当駅は、明治36(1903)年の行合延伸に合わせて、「日坂(にっさか)」の名で開業しました。当初は上図の通り、日坂(踏切のある坂)の袂にありました。

なお上図は、江ノ電の背後に写っている鈴木療養所(現:鈴木病院)の開所を記念して撮影されたものです。しかし、その開所は明治44(1911)年ですので、線路のできた時には、文字通り何もない場所に停留場が設置されたことになります。

とはいえ、藤沢・片瀬・腰越・極楽寺・長谷・鎌倉を除く地域(特に七里ヶ浜)は、元々無人地帯だったため、日坂も含め、そうした地域の停留場は、距離調整のために設置された便宜上のものだったのではないでしょうか。

 

現在の場所だと、現駅と踏切の間の、この辺りになります。

 

 

 

②2代目停留場

▲『鈴木療養所報吿』より ※筆者加筆

先述の通り、明治44(1911)年4月、何もなかった一帯に、サナトリウム(結核療養所)として鈴木療養所が開所されました。
これにより、当初の位置ではお客を見込めなかった停留場が、病院利用者の便宜を図るため、出入口付近に移転されました。
上画像の通り、乗降客用の待合所まで設けられたようです。

 

 

鈴木病院HPより

鈴木病院HPより、当時の写真です。
高い所にある建物が事務室(本館)で、左下の「日坂昇降場」と書いてある電柱が停留場、その横の小屋が待合所です。

右側の電車は、11または12号車とみられ、これが電動車であること(T10年 附随車に改造)と、バッファーの形状から、写真は大正10(1921)年頃の撮影と推測されます。

 

 

▲『鈴木療養所報吿』より

なお、同位置から撮影された療養所開所時の写真(↑)と、「初代停留場」の項で掲載した写真から、移転は開所と同時ではなく、すこし遅れて実施された模様です。

『鈴木療養所報告』が大正2(1913)年の発行なので、具体的な時期としては、開所から1年半以内ですね。

 

 

現在の場所で示すと、この辺りになります。ホーム端の出入口の辺りですね。

 

 

 

③3代目停留場

ここまでで触れた通り、大正期には、日坂停留場の周辺はほとんど人家がなく、目立った建造物は鈴木療養所くらいでした。そのため、停留場は専ら療養所利用者に従事していました。
これにより、興味深いことが起きるのです…。

 

▲『鈴木療養所第三報吿』より

大正12(1923)年、関東大震災が発生し、鎌倉や腰越も甚大な被害を受けました。これにより、鈴木療養所は本館等を除くほぼ全ての建物が倒壊。翌13年、残った本館を日坂の東側に移築し、そこに病棟をも建てることで、療養所の拡張も行いつつ復旧されました。

 

 

▲『鈴木療養所第三報吿』より
※一部拡大, 筆者加筆

これに伴い、同じく大正13(1924)年、療養所の新出入口前に停留場が移転することとなりました。
今更な感じはしますが、改めて考えてみると、こうも簡単に動かせるのは驚きですよね。

 

 

▲『鈴木療養所第三報吿』より

当時の写真です。左手前に見える道が日坂で、中央付近の高い建物が、移築された本館です。こちらも出入口に待合所が設けられていますが、2代目のものとは、若干デザインが違うようです。

 

 

現在の場所だと、ちょうど踏切の脇になります。
なお、ホームは昭和15(1940)年に新設されたようです。



 

④4代目駅

▲公文書図面

震災後の移転から約20年の間、日坂の東側で営業していた停留場ですが、昭和19(1944)年、現在の位置に移転しました。

以前は、小動停留場(腰越駅から海辺に出る辺り)で行違いを行っていましたが、この待避線が急カーブ上にあることと、(おそらく戦時中の措置によって)客扱いの変化が生じ、行違い場所として不適当になったことから、同待避線が東側へ移転されることになりました。

 

 

▲公文書図面

この際選定されたのが、「とある理由」によりちょうどいい窪地があった、現在駅がある場所なのです。
また同時に、近接していた日坂停留場を待避線と合併することで、運転の効率化が図られたのです。

 

 

現在のホームの位置に、待避線がありました。

 

 

戦後は、昭和28(1953)年に、現在の「鎌倉高校前」への改称と、待避線の峰ヶ原信号場への移設が行われたほか、年表に示した通り設備の改修や近代化が行われ、現在に至ります。

 

 

 

2.名所案内 —鎌倉攻めに由来する古道—

それではおまけパートへ。今回紹介するのは、停留場名の由来にもなった「日坂」です。

日坂は、駅の付近にある、現在写真撮影スポットとして有名な坂のことです。
名の由来は、鎌倉攻めの際に新田義貞がここを通って進軍したため、「新田坂」と呼ばれ、それが「日坂」に変化したと言われています。

きっと当時は、浜辺と津村・常盤方面を連絡する、重要な役割を持つ道だったのでしょう。

既に掲載した写真にも写っていますが、元々は2m弱ほどの狭い道で、もっと緩やかな坂だったようです。これを、昭和14(1939)年頃から同17(1942)年にかけて、付近の丹後ヶ谷(たがやつ)の住民が手作業で改修し、現在の姿になったとのことです。

 

 

それでは、今回はこの辺りで。( _ _)

 

 

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