どうもこんにちは、ひこねです( ̄  ̄)ノ
今から遡ること約80年、その当時は廃車体をキャンプ場にする会社があったらしいですね。
さて、今回紹介するのはこちら。
キャンプカー前(臨時)停留場です。
「キャンプカー」って何ぞやと思った方、実は上に描かれているものがそうなのですが(あまり上手でなくてすみません…)、まぁ説明はのちほど…。
今回も地図と年表を掲載しておきます。
※年表は、今回は一番下に掲載します。

1.前身となった停留場
①祝賀会々場前
「キャンプカー前停留場」や「キャンプカー」について説明する前に、当停留場の前身についても軽く紹介しておきます。
時は遡って93年前、昭和6(1931)年のことです。当時の七里ヶ浜海岸では、4月15日より3日間、江ノ電が開通30周年を迎えた(実際には29年弱しか経っていない)ことを盛大に祝福した「開通三十周年記念祝賀会」が行われました。
詳細は割愛しますが、この会では仮設舞台での演芸や屋台、古電車(4号車)を燃やす「焚車祭」等が行われ、連日大変な盛況を見せたといいます。この会のアクセス向上のために会場入口付近に設けられたのが、一つ目の前身となる「祝賀会々場前」臨時停留場です。

※赤線は旧線(待避線)
位置は七里ヶ浜2号踏切の付近で、前回解説した大境停留場の待避線の末端部にありました。ホームもあり、古枕木の擁壁に土(砂利)を詰めた格好で、長さは15m程だったようです。
社史『江ノ電の100年』の110ページに停留場の写真が掲載されているので、気になる方はぜひ図書館で見てみてください。
②七里ヶ浜納涼園前

※朝戸涼氏撮影, 鎌倉市中央図書館所蔵・提供
無事に祝賀会を終え、三月経って迎えたその年の夏、江ノ電は夏季の更なる増収を図って、様々な夏季サービスを展開しました。
昔の江ノ電について調べている方なら一度は目にしたことがあるであろう「納涼電車(※)」も、この年に始められました。
※全ての窓を撤去し、車体を薄い青色に塗装したり装飾を施したりした電車。戦前、毎年夏に運行されていた。上画像参照。

※赤線は旧線(待避線)
この一環として設けられたのが「七里ヶ浜納涼園」でした。納涼園は図示した位置(かつての鎌倉町と腰越津村の境)に設けられたようですが、どのような施設だったのか、設備も含めて詳細は不明です。おそらく、浜辺を利用して屋台や舞台が並んでいたものと思いますが…。
納涼園の利用者のためにも臨時停留場が設置されました。場所は祝賀会々場前とほぼ同位置で、名称は「七里ヶ浜納涼園前」でした。これが二つ目の前身です。
2.キャンプカー前停留場

※T氏撮影, 鎌倉市中央図書館所蔵・提供
納涼園は昭和6(1931)年のみの営業であり、翌7(1932)年以降は別の方法で浜辺の活用が行われました。それが停留場名の元となった「キャンプ村(キャンプカー)」で、この頃導入されたボギー車(「タンコロ」の仲間)によって不要となった木造車の車体を、浜に並べてキャンプ場としたのです。

※赤線は旧線(待避線)

※黄線は旧線, 赤線はホーム
キャンプカー前臨時停留場は、言わずもがなこの施設の利用者のために設けられた停留場です。昭和7(1932)年の開業時より、若干改名しつつも、戦中の昭和17(1942)年まで毎夏営業しました。
戦時色の濃くなってきた昭和18(1943)年には、運行の都合上、七里ヶ浜停留場を移設する形で常設化されました。
3.キャンプカー
それではおまけパートへ。今回は名所案内はお休みで、キャンプカーについて紹介します。
前述の通り、「キャンプカー」とは、ボギー車の登場によって不要となった木造単車を活用すべく、七里ヶ浜の浜辺に並べてできたレジャー施設のことです。当時としてもやはり斬新なアイデアだったようで、広く海外まで宣伝されたといいます。果たして効果はあったんでしょうかね…?

※当時の案内図より(筆者所蔵)
料金は1日1車輌あたり2円だったようです。当時の1銭=現在の25円くらいに相当するので、2円は約5000円となり、意外にも庶民的な価格設定だったことがわかります。
浜辺でも一通りの生活を営めるようにするためか、電気・水道・風呂場等を完備していたといいます。風呂場は上画像にも写っており、左端の車輌の奥に離れて置かれている車輌(旧3号車)がそれです。
当時の観光案内パンフレット等によれば、開設当初は赤(橙)・青(水)・黄といった派手な色をしていたそうです。自然の海岸の中に人工的な色とりどりの車体が配置されている様子は、きっと風景の良いアクセントになっていたことでしょうね。
しかし、これは後に塗り替えられてしまいます。

※当時の絵葉書より(鎌倉市中央図書館蔵)
こちらも往時のキャンプカーの写真ですが、先程のものとは違い、全車輌が白っぽく写っています。塗装変更後の色について、金子晋著『江ノ電沿線今昔漫筆』にはクリーム色であった旨の記載があります。
変更の時期は、複数の写真から判断して、昭和12(1937)年頃と推測されます。理由まではわかりませんが、鎌倉が軍の要塞地帯に指定されていた事からも、日中戦争が何か関係しているのではないでしょうか…?
さて、このキャンプカーですが、戦況の悪化により、昭和19(1944)年の夏を最後に廃止されたようです。戦後も車輌群は残されて、しばらくは罹災者の仮住居になりましたが、昭和30年代初頭に撤去されたようです。
それでは、最後は年表で〆です。
最近は少し時間に余裕ができてきたので、投稿頻度をあげられる…かも…?
【キャンプカー前(臨)停留場 年表】
S6.4.15 (1931)
17日までの3日間開催された「開通三十周年記念祝賀会」の会場入口付近に、祝賀会々場前臨時停留場を設置(4.9届出)
S6.4.17 (1931)
この日を以て祝賀会々場前を廃止(5.2届出)
S6.7.25 (1931)
七里ヶ浜納涼園開設に伴い、大境-追揚間に七里ヶ浜納涼園前臨時停留場を設置(~9.30)(7.22届出)
S7.7.10 (1932)
キャンプ村開設に伴い、行合-姥ヶ谷間に七里ヶ浜キャンプ村前臨時停留場を設置(~8.31)(7.12届出)
S8.7.1 (1933)
行合-姥ヶ谷間に七里ヶ浜キャンプ村前臨時停留場を設置(~9.10)(7.1届出)
S9.7.1 (1934)
行合-姥ヶ谷間にキャンプ村前臨時停留場を設置(~8.31)(7.2届出)
S10.7.1 (1935)
行合-姥ヶ谷間にキャンプ村前臨時停留場を設置(~8.31)(7.3届出)
S11.7.1 (1936)
行合-姥ヶ谷間にキャンプカー前臨時停留場を設置(~8.31)(7.3届出)
S12.7.1 (1937)
行合-姥ヶ谷間にキャンプカー前臨時停留場を設置(~8.31)(7.1届出)
S13.7.1 (1938)
行合-姥ヶ谷間にキャンプカー前臨時停留場を設置(~8.31)(7.1届出)
S15.7.1 (1940)
行合-姥ヶ谷間にキャンプカー前臨時停留場を設置(~9.10)(6.19届出)
S16.7.1 (1941)
行合-姥ヶ谷間にキャンプカー前臨時停留場を設置(~9.10)(6.25届出)
S17.7.1 (1942)
行合-姥ヶ谷間に七里ヶ浜キャンプカー前臨時停留場を設置(~9.10)(6.27届出)
S18.1.29 (1943)
七里ヶ浜停留場の移転により常設化認可(S17.6.30申請)