ひこねの駅研究所

江ノ電と駅について書いていくつもりです!

【江ノ電駅史】#8 由比ヶ浜

どうもこんにちは、ひこねです( ̄  ̄)ノ

「鎌倉」と聞いて、真っ先にを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか? 鎌倉には由比ヶ浜七里ヶ浜・腰越海岸と3つの浜辺がありますが、今回は1番目の由比ヶ浜に近い駅をご紹介します。

ということで、今回紹介するのはこちら。

由比ヶ浜(ゆいがはま)駅です。

 

 

今回も地図と年表を用意したので、ぜひご活用ください!

地理院地図に筆者加筆

 

由比ヶ浜駅 年表】
M40.8.16 (1907)
極楽寺~大町間延伸に伴い海浜院(通)として開業
M42.7(1909)~M43.2(1910)
海岸通に改称
M42.7(1909)~M45.7.5(1912)
待避線を撤去
S4.4.18 (1929)
ボギー車導入のため、線路中心・ホーム擁壁間の幅員を拡張認可(S3.8.22届出→申請)
※S3.8.22に工事実施の届出をしたが、認可申請が必要な事項であったため、届出書を申請書として処理し、S4.4.18に改めて認可が下された。
S8.11.17 (1933)
停留場内建造物改築並びに待避線新設工事施行認可(11.2申請)
海岸通停留場に待避線と上り線ホームを新設
S17.12.14 (1942)
実測結果により、停留場を変更届出(申請→届出)
・ホーム寸法を変更
・中心位置を藤沢起点8.961.632kmから8.979kmに変更
・待合所設置
S20.4.28 (1945)
休止認可
S20.6.26(1945)以降
待避線撤去
S23.4.14 (1948)
廃止認可(3.19申請)
S25.7.15 (1950)
由比ヶ浜として再設置(藤沢起点8.976km)
S58.1.10 (1983)
自動券売機による販売を開始

 

1.由比ヶ浜駅海岸通停留場

由比ヶ浜駅は、鎌倉駅から数えて2つ目の駅です。住宅街の中にある無人駅ですが、由比ヶ浜へのアクセスを担っているため、日中は観光客で少し賑わっています。

▲朝の由比ヶ浜駅。この時間帯はまだ静かだ

この駅は昭和25(1950)年に新設された、江ノ電の中では新しい駅です。が、実は戦前に、同じ場所に前身となる停留場が設置されていたんです。

それが見出しにもある「海岸通(かいがんどおり)」停留場です。この停留場は明治40年極楽寺-大町間の延伸に合わせて、「海浜院(かいひんいん)※」として開業しました。海浜院とは、付近にあった施設のことです(後述)。
※「海浜院通」とするものもあり(時刻表など)

その後「海岸通」と改称し、昭和20年に戦時休止同23年に廃止されました。しかし、わずか2年後には復活し現在の由比ヶ浜駅が誕生します。

なお、戦前にも「由比ヶ浜」を名乗る停留場がありましたが、場所はここではなく、長谷駅との間にありました。

さて、これはちょっとしたこぼれ話ですが、この「由比ヶ浜」の表記について。駅や海岸は「由比浜」ですが、住居表示は「由比浜」と、カタカナになります。

 

2.改称はいつ?

前身の停留場が「海浜院」として開業し、「海岸通」と改称したことは前項で述べました。では、いつ改称したのでしょう?

まず明治42年7月の営業報告書には、「海濱院」として名が挙がっています。そして和田塚駅の際にも提示した、明治43年2月19日の新聞「横浜貿易新報」の記事には、「海岸通」の名で書かれています。よって、この半年の間に改称したことがわかります。

この新聞記事が改称を報じるものであり、全停留場が掲載されている(=全線における大規模な改称が行われたと考えられる)ので、この際に改称した可能性が高いですね。

▲橫濱貿易新報「昇降所の改稱」1910年2月19日付, 4面

 

3.行違いができた!

①初代待避線

いきなりですが、こちらをご覧ください。

昭和3年海岸通停留場

こちらは昭和3年当時の海岸通停留場なのですが…
なんだか、ホーム幅が異様に広いような気がしますねぇ…。どうしてなんでしょうか?

とまぁ、見出しで既にバレている故、変なわざとらしい演出はこの辺にして。この広い土地はまさしく待避線のあった跡ですね。

この待避線は(おそらく)明治40年の開業時から存在し、全通した頃に原ノ台停留場に移設されました。詳細は前回記事を参照。

 

②2代目待避線

さて、本題はここから。明治時代のうちに移設された待避線ですが、昭和8年に再度復活します。一体どんな事情があったんでしょうか?

その「事情」というのは、やはりというべきか「運転の円滑化」です。といってもこの場合は少し特殊で、「夏季以外の運転の円滑化」です。

こちらは夏季の繫忙期の交換場所です。海水浴客のために列車本数を増やさなければならないので、それに伴って行違いも頻繫に行う必要があります。

そのため、約900mおきに行違いをしていました。

そしてこちらは夏季以外の閑散期の交換場所。列車本数はそこまで多くなくて良いので、約900mおきに行違いをする必要はありません。しかし、行違いできる場所は限られているので、和田塚か長谷で待たなければならないんですね。

それを解決するために、車庫前と鎌倉の中間に近い海岸通停留場を行違い可能な構造とし、そこのみでスムーズに行違いをしたというわけです。

 

昭和17年海岸通停留場

待避線復活後の様子。待避線の中心と停留場の中心を一致させるため、昭和17年に停留場中心の変更が行われています。

現在の様子と比較すると、こんな感じ。

和田塚駅同様、現在ホームのある場所に待避線があり、2線の両脇にはホームがありました。

 

さて、この2代目待避線ですが、いつ撤去されたのでしょうか。

昭和20年6月末の資料からは海岸通停留場に待避線があったことが読み取れるので、戦時休止中もそのままだったことがわかります。となれば、考えられるのは昭和23年の停留場廃止時か…? 残念ながら詳細はわかりません。

 

4.野口写真館(由比ヶ浜編)

今回も、江ノ電FC初代会長の野口さん撮影・提供の写真を掲載します。

由比ヶ浜駅(野口雅章氏提供)

まずはこちら。撮影時期は不明ですが、昭和50年代とみられます。車輌は山梨交通から上田丸子電鉄を経て江ノ電にやってきた800形です。駅の方は電車に隠れていまいち見えませんが、無人化された現在では見られない出札室が確認できます。

 

▲S58.1.31当時の由比ヶ浜駅(野口雅章氏提供)

続いて昭和58(1983)年のもの。ホーム屋根が付き、また自動券売機(手前左側の建造物)も設置されています。自動券売機は、ちょうどこの20日ほど前に販売を開始しました。無人化後、出札所はいつ頃撤去されたんでしょうか…?

 

▲現在の由比ヶ浜駅(筆者撮影)

最後に、比較用として現在の写真をば。かつて出札所だった建物があった場所はスロープになっています。また、ややわかりにくいですが、ホームが手前側に延長されています。

 

5.名所案内

鎌倉文学館

由比ヶ浜駅から海岸通りを北方に歩くこと約5分。旧加賀藩主・前田家第16代当主の前田利為侯爵の別邸を鎌倉市が譲受け、文化施設として活用しているのが「鎌倉文学館」です。

明治22年横須賀線開通以来、鎌倉には多くの作家・詩人・歌人俳人・評論家たちが居住してきました。鎌倉や江ノ電沿線を舞台とした文学作品が数多く残っていることからも、ここは彼らにとって過ごしやすく、かつ愛着の湧くまちだということがよくわかります。

鎌倉文学館入口

入口から門までは、だらだらと坂を登っていきます。ここは「長楽寺ヶ谷(ちょうらくじがやつ)」と呼ばれており、文学館はこの谷戸の奥部にあります(下図参照)。

大正8年の鎌倉町の地図(一部, 筆者加筆)

長楽寺ヶ谷の名前の由来となった長楽寺は鎌倉時代最末期、元弘3(1333)年に新田義貞の兵火により焼失してしまい、現存しません。この事は坂上にある碑にも記してあります。

なお、焼失後に長楽寺は大町へ移り、安養院となって現在もあり続けています。

 

▲文学館正門

坂を登ると正門と受付があるので、ここでチケットを買って中に進みます。今回は時間の都合上行けませんでしたが、展示内容は興味深く、また建物も立派で見応えがあるので、ぜひ行ってみてはいかがでしょうか?

 

②鎌倉海浜公園(由比ガ浜地区)

今度は駅から海岸通りを南に約5分。海岸沿いの広い敷地が海浜公園として整備されています。市内に3箇所ある「鎌倉海浜公園」のうち、由比ガ浜地区のものがこの公園です。

▲スポーツ広場

運動場として整備されている場所には、「タンコロ」の愛称で親しまれた江ノ電の旧型車輌(106形107号車)が静態保存されています。

タンコロについては後で触れるとして…、まずは「海浜院」について。
海浜は明治20(1887)年に結核療養所(サナトリウム)として開業し、数年後からはホテル業も兼業。昭和20(1945)年に焼失するまで、「海浜ホテル」として避暑客に安らぎの時間を提供していました。

▲松林と海浜院(鎌倉市中央図書館蔵)

海浜院はこの辺り一帯の広大な敷地に立地していました。現在の海浜公園はその3分の1程度の広さなので、規模の大きさが実感できると思います。

大正8年の鎌倉町の地図(一部, 筆者加筆)

海浜院があった事を後世に伝える碑

▲タンコロと碑。ここはまるで旧時代の留置所のよう

 

さてそれでは、タンコロについて見ていきます。
とはいっても、私は車輌にはあまり詳しくありませんし、ここはおまけコーナーなので、簡単に。

まずは全体。フェンスが邪魔くさい。本当に。
保護のためには仕方ないといえばそれまでですが…。

そしてこの車輌、注目すべきは"上"です。

なんと保存にあたって、集電装置をかつて使用していた「トロリーポール」に付け替えてるんですね。これは素晴らしい。

 

次、側面。

ボッコボコじゃないの…。

海が近い故、どうしても潮風で劣化が急速に進行してしまいます。それを何度も補修していくと、やはりこうなってしまうんでしょうね。

 

では最後に、中の様子を。
といきたかったのですが、訪問したのがまさかの公開時間外…。

せっかくなので、同一構造の108号(極楽寺車庫にて保存)の内部の様子を。

今回伝えられなかった諸々については、気が向いた時にでも記事にしようかと思います。

 

以上、由比ヶ浜駅とその周辺についてでした。
では、今回はこの辺りで失礼します。

 

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