ひこねの駅研究所

江ノ電と駅について書いていくつもりです!

【江ノ電駅史】#0 江ノ電略史

どうもこんにちは、ひこねです( ̄  ̄)ノ

前回まで、自己紹介の延長で、普段の調査方法を紹介してきました。その中で、私が江ノ電について特に深く調査している事も述べました。
ということでですね(どういうことだってばよ)、今回から(正確には次回から)は江ノ電の駅について書いていきたいと思います。

え?それは今公式がYouTubeでやってるじゃないかって?
向こうは映像コンテンツ、こちらはテキストコンテンツ。干渉せずに棲み分けて、それぞれで続けていけば良いのではないかなと、私は思います。それに、こちらにはあまり人が来ませんし。
とはいえ、同じ藤沢スタートだと何かと問題なので、こちらは鎌倉からスタートしようと思います。

と、その前に…
江ノ電についてあまり知らない方もいらっしゃることでしょうから、今回は江ノ電の略史について書こうと思います。ここに辿り着いている時点で、そういう方は少ないかと思いますが、一応念のため。

 

 まず始めに、江ノ電こと江ノ島電鉄線とは、神奈川県藤沢市藤沢駅と、同県鎌倉市鎌倉駅を結ぶ路線のことです。沿線には景勝地や史跡が豊富で、年間を通じて観光客が多数利用します。

 江ノ電の歴史は、明治29年に電気鉄道敷設許可申請書を提出したことで動き始めます。当時は「江之嶋電氣鐵道」という別の会社でした。同31年には鉄道敷設許可がおり、明治35年9月1日には最初の区間である、藤沢-片瀬(かたせ, 現在の江ノ島)間が開業しました。江ノ電の起点は藤沢なんですね~!
なおこの開業には、用地買収や人力車との関係など、多くの問題があり大変苦労したそうです。

 翌年には片瀬-行合(ゆきあい, 現在のプリンスホテルの下)間、および行合-追揚(おいあげ, 七里ヶ浜稲村ヶ崎間のS字カーブ付近とされていますが、個人的に稲村ヶ崎駅付近と推測)間を、その翌年には追揚-極楽寺間を延伸開業させました。ここで、トンネル(極楽寺隧道)の掘削や資金難などの問題により、延伸は一時停滞します。極楽寺-大町(おおまち, 由比ヶ浜大通りの踏切脇)間の延伸は、3年後の明治40年に行われました。横須賀線との交差(下画像参照)のためにここでも3年滞り、明治43年11月4日に大町-小町(こまち, 現:鎌倉)間が延伸されて、ようやく全線開通を果たしました。

▲当時の江ノ電横須賀線と交差し、若宮大路を走っていた(地図は昭和2年)

 やっとのことで藤沢-鎌倉間を開通させた江之島電気鉄道。しかしその余韻に浸る間もなく、翌年の明治44年横濱電氣と合併し、電力会社の経営となります。江ノ電は電力事業も営んでいたため横浜電気に目を付けられ、資金難も相まって吸収・合併に至ったのです。10年後の大正10年には横浜電気も東京電燈(現:東京電力)に合併され、江ノ電は東京電灯の路線になりました。

「でも、今の江ノ電は東電のものじゃないじゃんか!」

 現在の「江ノ島電鉄」は、大正15年に設立されました。元は「東海土地電氣」という名で、創立総会時に「江ノ島電氣鐵道」と改称したといいます。当時は江ノ島から茅ヶ崎・大船各方面へ路線建設を計画していた会社でした。さて、その江ノ島電気鉄道が東京電灯から路線を譲り受けたのは、昭和3年のことです。当時、東電は金融恐慌の影響で事業の縮小を迫られ、軌道事業から手を引くことを決定していました。そうなれば当然江ノ電も手放されるため、そこに「江ノ島電気鉄道」がアプローチし、買い取ることとなったのです。つまり、開業時の会社と今の会社は、全く別の会社なんですね。

 さて、当時の江ノ電ですが、現在のような鉄道ではなく「軌道法」に基づく「軌道」、つまりは路面電車でした。東京都電広島電鉄とさでん交通などを見てわかる通り、路面電車は普通の鉄道よりも駅の間隔がかなり短く、数も多いです。また電車の床が低く、ホームも低くなっています。昔の江ノ電もこのような路面電車の特徴に当てはまっていました。大正中期頃から昭和初期の間は、わずか10.289kmの路線上に39もの駅(軌道法では「停留場」といいます)がありました。停留場同士の平均間隔はなんと264m! しかし驚くのはまだ早い。最多期(昭和6年の夏)には、41もあったというのですから…。

 これを現在のような「鉄道事業法(旧:地方鉄道法)」に基づく「鉄道」へと変更したのは、昭和20年11月1日のことです。鉄道へと移行した理由は諸説ありますが、どうも軍から働きかけられたらしいです。当時概ね路面電車の姿であるにも関わらず、鉄道への変更がすんなりと認められているので、この説は正しいのかも…? この際、道路との併用軌道の解消が困難だとして特例によって認められた区間の一つが、現在も残る江ノ島-腰越間の路面区間なのです。

 戦後は、戦前よりしばらく続いた東急の傘下から分離し、社名を「江ノ島鎌倉観光」として観光事業や多角経営に注力しました。昭和56年には、開業80周年記念事業の一環で社名を現在の「江ノ島電鉄」に変更しました。
平成31年には小田急の子会社になってしまいましたが、お客視点では特に目立った変化はなく(小田急の広告が増えたくらいですかね)、以前と変わらない江ノ電です。内部ではどうか知りませんが。

 

さて、江ノ電の歩んできた歴史の大まかな流れはこんなところですかね。江ノ電は今年の9月1日で開業120周年を迎えます。何度も危機的状況に立たされながらも、今日まで120年生きながらえた「えのでん」。調べると本当に奥が深くて、面白い鉄道です。心の中で盛大にお祝いしつつ、次回から総数45の停留場を紹介していきますよ~!

あ!年表も用意したので、参考までに見ていってくださいね!

 

江ノ電略史 年表】
M29 (1896)
江之島電気鉄道、電気鉄道敷設許可申請
M31.12.20 (1898)
江之島電気鉄道に電気鉄道敷設特許状及び命令書交付
M33.12.4 (1900)
江之島電気鉄道設立登記(本社:高座郡藤沢字大阪町1884番地)
M35.9.1 (1902)
藤沢-片瀬(現:江ノ島)間開通
M36.6.20 (1903)
片瀬-行合(プリンスホテル下)間延伸開業
M36.7.17 (1903)
行合-追揚(現:稲村ヶ崎)間延伸開業
M37.4.1 (1904)
追揚-極楽寺間延伸開業
M40.8.16 (1907)
極楽寺-大町(和田塚-鎌倉間)間延伸開業
M43.11.4 (1910)
大町-小町(現:鎌倉)間延伸開業, 全線開通
M44.10.3 (1911)
横浜電気株式会社と合併し、江之島電気鉄道解散(横浜電気株式会社江之島電気鉄道部となる)
T10.5.1 (1921)
東京電灯株式会社に合併し、横浜電気株式会社解散(東京電灯江之島線となる)
T15.7.19 (1926)
江ノ島電気鉄道設立登記(本社:横浜市本町4丁目63番地若尾ビル)
S3.7.1 (1928)
江ノ島電気鉄道が東京電灯より軌道を譲受(7.7実施届出)
S13.10.20 (1938)
臨時株主総会にて東京横浜電鉄の傘下となる(日中戦争長期化による戦時統合)
S17.5.1 (1942)
東京横浜電鉄小田急電鉄京浜電気鉄道を合併し「東京急行電鉄」と改称
S19.11.18 (1944)
軌道を地方鉄道に変更許可(8.15申請)
S20.11.1 (1945)
地方鉄道法に基づく鉄道に変更(同日実施届出)
S22.3.15 (1947)
東京急行電鉄の傘下から分離
S24.8.1 (1949)
社名を「江ノ島鎌倉観光株式会社」に変更(同日実施届出)
S28.4.1 (1953)
小田急電鉄の関係会社となる
S56.9.1 (1981)
社名を「江ノ島電鉄株式会社」に変更
H31.4.26 (2019)
小田急電鉄との簡易株式交換により、小田急電鉄の完全子会社化
R4.9.1 (2022)
開業120周年

 

前▶
次◀ 鎌倉(小町)